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福岡地方裁判所小倉支部 昭和59年(ワ)227号 判決 1991年1月29日

原告

小柳春利

原告

古賀厚

右両名訴訟代理人弁護士

石井将

市川俊司

服部弘昭

宮里邦雄

谷川宮太郎

被告

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

石月昭二

右訴訟代理人弁護士

小柳正之

右訴訟代理人

荒上征彦

利光寛

川田守

滝口富夫

増元明良

内田勝義

主文

一  原告らが被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は、原告小柳春利に対し、金四七三万〇六二五円及び平成二年一月一日から本判決確定に至るまで毎月二〇日限り金一八万九二二五円を、原告古賀厚に対し、金一七五一万四三〇〇円及び平成二年一月一日から本判決確定に至るまで毎月二〇日限り金二二万一七〇〇円を、それぞれ支払え。

三  原告小柳春利のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告小柳春利と被告の間に生じたものは、これを三分し、その一を同原告の負担、その余は被告の負担とし、原告古賀厚と被告の間に生じたものは、全部被告の負担とする。

五  この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  主文一項と同旨

二  被告は、原告小柳春利に対し、金一三八一万三四二五円及び平成二年一月一日から本判決確定に至るまで毎月二〇日限り金一八万九二二五円を、原告古賀厚に対し、金一七五一万四三〇〇円及び平成二年一月一日から本判決確定に至るまで毎月二〇日限り金二二万一七〇〇円を、それぞれ支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、旧日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の職員であり、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員であった原告らが昭和五八年五月一六日付で被告(当時は旧国鉄)が行った懲戒免職処分(本件処分)を無効であると主張して、被告に対し、労働契約の存在確認及びその間の賃金の支払いを求めたものである。

二  争いのない事実

1  当事者

原告小柳は、昭和四〇年三月一日被告(当時は旧国鉄、以下同様)に臨時雇用員として採用され、昭和四一年一〇月一日から職員たる地位を取得し、昭和五八年五月当時は、門司鉄道管理局直方貨車区車両検修係の職にあるとともに、国労門司地方本部筑豊支部書記長の役職に就いていたもの、原告古賀は、昭和三七年四月一日被告(国鉄)に臨時雇用員として採用され、昭和三八年六月一日から職員たる地位を取得し、昭和五八年五月当時は、門司鉄道管理局直方気動車区事務係の職にあるとともに、国労門司地方本部筑豊支部執行委員の役職に就いていたものである。

被告は、もと国鉄と称し、日本国有鉄道法(以下「国鉄法」という。)に基づいて設立され、鉄道事業等を営む公共企業体であったが、昭和六二年四月一日から、日本国有鉄道改革法及び日本国有鉄道清算事業団法に基づいて、国鉄から移行され、国鉄の承継法人に承継されない資産、債務等を処理するための業務等を行う法人である。

2  本件処分

被告(国鉄総裁代理の門司鉄道管理局長)は、原告両名に対し、昭和五八年五月一六日付をもって、国鉄法三一条に基づく懲戒処分として原告両名を免職する旨の意思表示(本件処分)をし、同月一七日以降原告両名を被告職員として取り扱わず、後記の賃金の支払いをしない。

右懲戒処分の理由は、「小柳、古賀(原告両名)他一名は、昭和五七年一二月一七日午後九時五五分頃、直方駅構内で、構内巡視中の末光助役を国労筑豊支部事務所に強制連行し監禁した。強制連行の際、同助役は、全治七日間の負傷をした。又、救出に向かった直方駅長及び同助役が、同事務所から退出しようと試みたが、その際、小柳、古賀らは退出を妨害した。これらのことは、職員として著しく不都合な行為である。」というものである。

3  原告らの処分歴

(一) 原告小柳

<1> 昭和四五年九月一一日闘争に参加し、許可なく勤務を欠いたことにより、昭和四七年六月一日国鉄法三一条一項一号により戒告

<2> 昭和四八年八月三〇日上司に対する粗暴行為により、同年一〇月二九日国鉄就業規則六七条二項に基づき訓告

<3> 昭和五〇年一〇月二一日反戦闘争に参加し許可なく勤務を欠いたことにより、昭和五一年三月二八日訓告

<4> 昭和五三年四月二六日直方貨車区における春季闘争を指導したことにより、昭和五四年三月三日訓告

<5> 昭和五五年四月一六日直方貨車区における春季闘争を指導したことにより、昭和五六年七月八日訓告

(二) 原告古賀

<1> 昭和五二年三月から四月にかけての春季闘争に参加し許可なく勤務を欠いたことにより、同年九月一〇日訓告

<2> 昭和五三年四月春季闘争に参加し許可なく勤務を欠いたことにより、昭和五四年三月三日訓告

<3> 昭和五六年一月から六月にかけての春季闘争に参加し許可なく勤務を欠いたことにより、同年一二月一九日訓告

4  原告らの賃金関係

本件処分当時、原告らが被告(国鉄)から支給されていた賃金は、原告小柳が月額一八万九二二五円(但し、当時は、昭和五七年一二月一日国鉄の許可により専従休職中で、賃金は支給されていなかった。)であり、原告古賀は月額二二万一七〇〇円であった。

三  処分事由についての被告の主張

1  事実関係

(一) 本件発生までの経緯

(1) 昭和五七年一二月一七日、国鉄直方駅長冨田昌弘は、国労筑豊支部傘下の各分会による同月一七、一八、一九日のビラ貼り行動を警戒すべき旨の直方運輸長からの指示に基づき、幹部点呼の際に、同日午後五時以降全管理者を招集して右警戒に当たるよう指示した。

同日午後五時三〇分ころ、同駅長は、右警戒に従事する管理者全員に対し、異常があった場合は駅長に連絡するとともに、ビラ貼り行為に対する中止の警告、ビラを貼られた場合の現認、採証、撤去等を指示したうえ、同駅の構内巡視を命じた。

(2) 同駅助役(輸送総括)末光璋吉は、詫間正雄助役(庶務担当)とともに同駅西部構内(その概略は別紙図面記載のとおり)を担当することとなり、両助役は、共に同日午後六時ころから八時ころまで同構内を二回巡視した後、下り運転室内から同構内を監視していたが、詫間助役は午後九時三〇分ころ、電話連絡で所用のため駅長室に行った。

(3) 残った末光助役は、二回目の巡視から一時間半以上も時間が経過しており、駅長からも「西の方は大丈夫か」という電話があったことから、午後九時三五分ころ三回目の巡視をするため前記運転室を出て保線区倉庫に至り、同倉庫、西運転室等にビラが貼られていないことを確認した後、同運転室と保線区倉庫の間に立って、付近に駐車していたバイクのチェックや西てこ扱所東側で行われていた上り貨物列車の機関車の入区作業を見守っていた。

(二) 末光助役に対する強制連行、監禁、傷害

(1) 当日夜、国労筑豊支部事務所(以下「組合事務所」ともいう。)には、原告ら同支部役員をはじめ気動車区、機関区、電気区の三分会の役員らが待機していた。そこへ入ってきた組合員の一人から、当局側の現認要員が自動車のナンバーをチェックしていたので「おまえ、何をしよるんか」と聞いたところ逃げた旨聞いた原告らは、その現認者に対し抗議しようと考え、ほか三名の者とともに同事務所を出て捜していたところ、前記箇所に立っていた末光助役を発見した。

(2) そこで、原告古賀が西てこ扱所南側から、原告小柳ほか一名が同所北側から、それぞれ末光助役のところまで走り寄り、原告古賀が末光助役の左側に、原告小柳は右側に、他の一名は同助役の後ろに回って立ち、原告古賀が「あんたこげんところで何しよるとな」と言い、原告小柳は「ここで支部を監視しようろうが」と語気荒く詰め寄った。同助役が「おれは構内を巡視しよったい」と答えたところ、原告古賀は「スパイ行為じゃないか」と言って同助役のアノラックの左衿を右手でつかみ、原告小柳が同助役の右上膊部を強くつかんだ。同助役は「機関車の入区状況を見よるったい」と答え、つかまれた右腕が痛かったので何回も腕を振るったり身体をねじったりしたが、原告両名は手を放そうとはしなかった。

同助役は、その場所が暗かったので明るい所へ出ようと思い、原告らにつかまれたまま貨車一番線と二番線の間まで行った。

(3) このとき、西てこ所の方向から新たに二人の男が走ってくるのが見えたので、同助役は原告らの手を全力で振り払い南の方へ数歩逃げたが、同助役の後ろにいた他の一名が同助役の腰にタックルするように抱きつき動きがとれなくなったところへ、原告小柳が同助役の右手首をつかんでねじり上げ同助役の右脇の下に左腕を差し込み、原告古賀が同助役の左手首をつかんでねじり上げ、同助役の左脇の下に右腕を差し込んで、同助役の身体を浮き上がらせた状態にし、そのまま安全通路沿いに線路を横切って、約八〇メートル離れた本件組合事務所の階段下まで連行した。この間、同助役が「お前達は暴力を振るうのか、離さんか、やめんか」と数回叫んだが、原告らは同助役を離そうとはしなかった。

(4) 原告らが同助役を組合事務所の階段下まで連行したとき、同事務所から組合員一〇数名が降りてきて同助役を取り囲んだ。同助役はねじり上げられた腕の痛みに堪えかねて「もう離してくれ」といったところ、原告両名は手を離したものの同助役を解放することなく、組合員らと共に前後を取り囲んだ状態で組合事務所へ連れ込んだ。

原告らの右一連の行為により、同助役は右頸、肩、上腕挫傷全治七日間の傷害を負った。

(5) 組合事務所に連行された同助役は、同事務所中央付近に線路側に向かって立たされ、出入口付近には組合員らが立ち塞がった。そして、原告古賀が組合員に対し「これやったな」と問いかけたところ、組合員一人が「違う、ヘルメットをかぶっちょらんやった」と答えた。すると、原告古賀は同助役を指差しながら「これは、昔直方車掌区におるとき、鉄労を作って助役試験に通り、違ろうなっちょっちゃきな、ろくなやっちゃねえとばい」と組合員をあおったため、他の組合員らも「お前、スパイしちょろうが」、「本当のことを言え」などと罵声を浴びせた。同助役が原告古賀に「俺は業務で構内を回っていただけだ」というと、組合員らが大声で「うそ言うな」「こげえ遅そう、なんで構内回るか」「うそばっかし言うな」などと罵声を浴びせ同助役をなじった。このころ組合員の数は約二〇名となっていた。

(6) 原告小柳は、同日午後一〇時〇五分ころ、机上の鉄道電話で直方運輸長室の香月主席に架電し「駅の助役らしい者をつかまえておる、何でも上の方の助役らしい、取りにこんのか」と荒っぽい口調で電話した。

また、原告古賀は、同助役に対し「断り言えよ」と言ったので、同助役は「自分の構内を私がまうのに何が悪い」と答えたところ、他の組合員らが「駅長を呼べ」「どげすっとか」と大声で言い、更に「外を見てみい、うんとたむろしちょろうが、おまえげんとが」と言った。右の一連の行為により極度の恐怖と疲労のため、同助役は原告ら組合員に対し、ものを言う気力を失い、言われるままに機関区側の窓に行って外を見たところ、同所から四、五〇メートル離れた西誘導詰所付近に五、六名の機関区の助役の姿が見えたが、すぐまた元の位置に戻りかけたところ「もっとよう見らんか」と怒鳴られたので、再度、窓の位置に立ったが、同助役は極度の恐怖心からその場では助けを求めることもできなかった。

(7) 同助役が元の位置に戻ると、原告小柳が「お前誰か、身分証明書を出せ」、原告古賀が「懐中電灯も持たんで何しよったか」、さらに組合員らが「お前どこの者や」などと詰問した。同助役は、右ポケットから懐中電灯を出して見せ、さらにアノラックのチャックを下げ制服の胸に付けていた氏名札を見せた。すると組合員らは「そげなものはどこにでも落ちよる」「どこで拾うたか分らんもん信用できるか」とののしったうえ「お前、そげなぬくいところにおらんでもっと寒いところに立っちよけ」と命じ、東側窓の方を指差した。同助役は言われるままに、電気ストーブの裏側の東側窓の方に移動したが、そのときも出入口付近には組合員が二、三名椅子に腰掛けて出口を塞いでいた。

(三) 冨田駅長及び末光助役に対する退出妨害

(1) 前記(二)(6)のとおり、同日午後一〇時〇五分ころ、原告小柳から電話を受けた運輸長室の香月主席は、たまたま運輸長室を訪れていた冨田駅長に、右電話の内容を伝えた。冨田駅長が調べたところ、組合事務所に連れ込まれたのは末光助役らしいことが判明したので、救出のため同駅長は急拠同事務所へ向かった。

(2) 同駅長は、一〇時一六分ころ、同事務所下から末光助役の姿を確認できたので、階段を駆け上がって、出入口の戸をノックし、挨拶をして同事務所に入った。室内には約二〇名の組合員がおり、末光助役は出入口右側の机のそばで、顔面を蒼白にして、うなだれて立っていた。そこで、同駅長は同助役の側に行き、同助役に「おい、総括帰るぞ」と言って右手で同助役のアノラックの袖を引っ張って、出入口に向かって歩きかけたところ、原告古賀ら五、六名の組合員が出入口付近に立ち塞がり、「お前は誰か」「どこの馬の骨か」「この馬鹿野郎」などと罵声を浴びせ、続いて原告小柳が「お前は誰か、挨拶もせんで入ってきて失礼やねえか、この馬鹿野郎」と詰問し、同駅長が「俺は直方駅長や、うちの助役だから連れて帰る」と答えたところ、組合員らは「馬鹿」「とぼけるな」などと罵声を浴びせた。

同駅長は、このままの状態では長時間監禁されるおそれがあると判断し、末光助役に対し「ここを突破して帰るぞ、俺に付いて来い」と言って出入口に向かったところ、組合員らは出入口の戸の前に横一列に並び出入口を塞いだので、同駅長が「そこをどかんか、俺は出るんだ」と言うと、列の中の組合員が「出すか」と怒号した。

同駅長は、組合員の列を突破して室内から脱出すべく列の中に左肩から割り込んで行ったところ、強く押し返され室内に仰向けに転倒したが、後ろにいた末光助役が抱え起こした。

組合員らは「俺は何もしていないぞ」「駅長は年寄りで、足がもたついて自分でこけたばい」などとあざ笑った。

(3) 同駅長は、組合員らに対し「あんた達は、末光助役を強制的に連れ込んで、更に、暴力まで振るうのか、許さんぞ」と言ったところ、組合員らは「暴力もしとらん、監禁もしとらん」と言い、原告小柳が「これが陰に隠れてこそこそして、巡視と言いよるが、そげな構内巡視があるか、さっき運輸長室に電話しとらい」とうそぶき、続いて左足のつま先を自ら同駅長の右靴の下にこじ入れ「これが俺の足を踏んだ」と大声で叫んだ。

同駅長は、原告小柳に対して「お前達に巡視の理由や方法を言う必要はない、組合が個人を監禁し、自由を束縛してもいいんか」等と言い、再度「出るんだ、どけ」と大声を上げながら出入口の列に割り込んで行ったが、組合員らは退室を阻止した。

(4) 同駅長は、このままでは自力で退室することは困難と判断し、原告小柳に対して「あんた達はいつまでこんなことをするんな、俺は駅に連絡する」といって机上にある鉄道電話で駅長個室にダイヤルしたところ、原告小柳が電話のフックを押し「何で組合の電話を黙って使うんか、この野郎」と罵声を浴びせて妨害したが、駅長は電話機を手元に引き寄せ駅長個室を呼び出し、主席助役安部義隆に対して「公安、運輸長に連絡して、助役を全員動員して筑豊支部前に来い」と指示した。このとき、室内は一瞬静かになった。

原告小柳は、同駅長に対し「公安を動員するとか、気の利いたことを言うな」と暴言を吐いたが、同駅長はこれを無視し、末光助役に「総括、付いて来い、帰るぞ」といって出口に向かって歩いていると、原告小柳が「待て」と叫んで同駅長の右腕をつかんだ。そこで、同駅長は「まだ妨害をするんか、たいがいにしとけ」と言ってつかまれている腕を強く振り払い、出入口を出て階段の中程まできたとき、四、五名の組合員と共に追いかけてきた原告小柳が「組合の責任者の名前も聞かんで帰るんか」と言ったので、同駅長が「責任者は誰か」と聞いたところ「俺だ、小柳だ」と答えた。

(5) 一方、冨田駅長に続いて出入口を出た末光助役は、階段の踊場で原告古賀から左腕を強くつかまれ「ちょっと待て、断りを言わんか」と言われたので、同助役は「俺は輸送総括だ、構内を巡視するのは当たり前だ、断りを言う必要はない」と答えたが、なおも原告古賀は同助役を解放しなかった。

五、六名の組合員と階段を降りた原告小柳は駅長に対し「挨拶もせんで、どこの誰かもわからんやつが帰ると言いよるぞ」等と悪態をついた。このとき、直方運輸長付副運輸長荒島巌が直方駅管理者らとともに組合事務所階段下まで来て、原告小柳に対し、末光助役を解放するよう警告し、更に同駅長が末光助役に「総括、駅に帰るぞ」と言った。そのころ、同助役は原告古賀の手を振り切って階段を降り、やっと原告ら組合員の拘束から解放された。

2 懲戒処分の根拠

以上のとおり、原告らは、直方駅末光助役を組合事務所に身体を拘束したうえ強制連行し、その際に、同助役に全治七日間の傷害を負わせるとともに、更に同助役を右事務所内に監禁し、また、救出のため赴いた冨田駅長及び末光助役の右事務所からの退出を妨害したものである。

右原告らの行為は、日本国有鉄道就業規則六六条一六号の「職員としての品位を傷つけ又は信用を失うべき非行のあったとき」及び同条一七号の「著しく不都合な行為のあったとき」に該当し、結局、国鉄法三一条一項に掲げる「この法律又は日本国有鉄道の定める業務上の規程に違反した場合」に当たり、悪質なものであるから、懲戒処分として免職に付したものである。

四  原告らの主張

1  本件懲戒事由の不存在

(一) 本件事件の背景

(1) 国労の門司地方本部は、国労設立以来その中心的役割を果たしてきた。ことに門司地方本部は、国鉄「再建」合理化の当面の焦点となったローカル線廃止問題では、北海道とともに最も多くの廃止対象路線を抱えて、国民の足確保の観点から広範な地域住民の反対運動の一翼を担ってきた。また、門司地方本部は、他に先駆けて、職場でのさまざまな諸要求を取りあげて当局と交渉していく「現場協議制」を確立、発展させてきた。とりわけ、筑豊支部は、その中でもその強い団結力と行動力から先進的な活動を展開してきた。

国鉄当局は、数年前から国鉄「再建」合理化と分割民営化路線を進めるべく、これに反対する国労等に対して強圧的な労務政策をとるに至り、国労全体に対して全国的に組織攻撃をかけてきた。とくに国労門司地方本部と筑豊支部は、前記の実状から特段の攻撃目標にされ、異常なまでの激しい攻撃がかけられるに至った。

原告らは、いずれも筑豊支部の中心的活動家であり、かねてからマークされていたものである。

(2) 昭和五六年三月に発足した第二次臨時行政調査会(第二臨調)の国鉄「改革」論議では、国鉄の赤字を生み出した主たる原因が、あたかも国鉄の労使関係にあるかのように宣伝され、国鉄労使の改革を必要とするとの議論が意図的に作りあげられた。国鉄当局は、それを背景に、「職場規律の確立」と「管理体制強化」を至上命題とする労務政策を展開し、昭和五七年七月の臨調基本答申を受けて政府が閣議決定した措置では、職場における協定・慣行の破棄・是正、現場協議制の破棄などがうたわれ、それに沿って労使関係のルールを全面的に見直す労務政策が強行実施されるに至り、国労、国鉄労働者に対する攻撃が一挙に強まった。具体的には、現場協議制の廃止、勤務時間中の入浴禁止等、多年にわたり築きあげられてきた既得権や労使慣行を、次々に剥奪した。それだけではなく、各職場では国労組合員に対する差別と抑圧が日々繰り返されてきた。本件事件はこのような背景のもとに起きたものである。

(3) 昭和五七年一二月中旬、総評を中心とする秋季年末闘争が展開され、国労も、仲裁裁定の即時完全実施、夏季年末手当に対する仲裁の実施、年末手当の削減抗議、国鉄の分割民営化反対、国鉄監理委員会設置法反対、等の要求を掲げてこの闘争に参加し、一二月一六日には国労各拠点地区における時限ストを中心とする諸行動を計画した。国労筑豊支部は右スト拠点ではなかったが、国労の指示に基づき一二月一四日から右闘争にかかわる諸行動として職場集会を予定していた。

それに対し、国鉄当局は、一二月一四日から一六日までの間、直方運輸長室に現地対策本部を設置して筑豊支部の行動に対して厳しい厳戒体制を敷いた。直方運輸長を本部長として、直方駅などの各現場では助役を動員し、さらには門鉄局から多数の現認要員が派遣され、筑豊支部のビラ貼り行動に対する徹底した監視警戒がとられた。一二月一七日も、同様の厳戒体制をとり、現認要員や助役らが同日夜に入っても構内に出て頻繁に構内巡視を繰り返すなどして筑豊支部の動静など組合監視活動を続けていた。

(二) 本件事件の経過

(1) 国労筑豊支部は、同日門司地方本部からの指示に基づき各分会ごとに決起集会を行い、その後、中央からの情勢報告の伝達及び闘争に関する打合わせと地元からの指示を受けるため、各分会から役員を中心に組合員が集まって組合事務所に待機することにしていた。中でも支部役員である原告両名は同日夕方から組合事務所に来ており、午後九時ころには原告らのほか一〇名くらいの組合員が同事務所に待機していた。

午後九時五〇分ころ、支部執行委員の松本勝弘は、組合事務所横の空き地で国鉄当局の現認要員らしい管理者二名が、そこに停めてある組合員の車のナンバーを控えているのを発見し、これに抗議しようとして呼び止めたところ、右両名はすぐその場から立ち去った。

松本は、組合事務所に帰ってきて、原告ら同事務所にいた組合員らに「でたらめばい、現認が車のナンバーをチェックしよったき、「お前何しよるか」ちゅうたら逃げたもんなあ」と報告した。これを聞いた原告らは、念のため当局の動静を調査し、不当なことが行われていた場合はそれを調査確認してその中止を求めようということになり、原告両名ほか二名は組合事務所を出た。

(2) 原告小柳は、組合事務所の前にある西てこ扱所の南側付近から西構内を見回したところ、そこから約四〇メートル東方の保線区倉庫南側の暗がりに管理者風の男が腰を落として潜んでいるのを発見した。ちょうど原告古賀も西てこ扱所の北側付近にいてこの男を確認した。日頃この時刻ころに当局の管理者が業務で右現場にいることはなく、またこの男のいる位置や態度も不審な状況であったところから、原告両名はそこへ走り寄った。

その男は原告らが近づくとその場に立ち上がった。その男は、国鉄の濃紺のアノラックにヘルメット姿で手には軍手をはめ管理者風のいでたちで、右倉庫脇のコンクリート製水切り枠の上にそわそわした様子で立っていた。原告両名は、この男の前に立って、この男の不審な挙動について問い質した。

問答は以下のとおりである。原告小柳「お前、こげな所で何をしよるとか、支部を見張りよるとやな、お前、どこのもんか」、原告古賀「ここで何をしよるとか、組合スパイではないか」、男「巡視しよるとたい、何も見張りやらしよらんちゃ、俺は駅の助役たい」、原告小柳「ほんなこつか、巡視しよる者が、こげなところでじっとしよるはずがあるか」、男「ほんとちゃ、なにもあやしいもんやないちゃ」、原告小柳「うそつけ、ほんなら身分証明書を見せてみい、あすこの機関区を見てん、現認が一杯おろうが、さっき車のナンバーをチェックしよっとがおったが、お前やないか」、男「違うちゃ、俺は違うちゃ」、原告古賀「あんた、末光さんやな、巡視しよるというが、組合を監視して、不当労働行為やないか」、末光「違うちゃ」、原告小柳「いいたい、とにかく、こげな寒いとこで話はでけんき、支部で話をしようや、よかろうが」、末光「いや、行かんばい」、原告小柳「来てもいいやんか、悪いことをしよらんのきや、支部で申し開きは出来ようも」。

その後、原告小柳は末光助役のアノラックの左襟を右手でつかみ、同古賀は同助役の右手首付近のアノラックの袖をつかんで、それぞれ軽く引いて組合事務所への同行を求めた。同助役は「破れるちゃあ」と言って、それらを振りほどいた後、保線区倉庫南西角付近から北西の直方駅方向に向かって走り出した。

(3) 末光助役は、走り出して約一〇メートルほど先の線路付近で国労筑豊支部組合員三名と出会い立ち止まった。原告ら両名もまもなく末光助役の前に来て、原告小柳は、同助役に対して「お前も男らしくないのう、何も悪いことしちょらんとなら、なんちゅうことないやないか、それでも(組合事務所に)来られんとか」と言い、同古賀も同様のことを言った。すると末光助役は「もう分かったちゃ、行くちゃ」と答えた。

そこで、末光助役と原告らなどその場にいた組合員らは、そこから組合事務所に向かって歩き出した。右組合員らは、末光助役を間にして、組合員らがそれに前後する形で、その場から西北に少し進んで安全通路(幅約六〇センチメートルで線路を東西に横断している)に出て、安全通路上を西に進んでその西端から組合事務所のある建物の入口に来た。そして、入口の階段を一列で上がり、二階の組合事務所に入った。

その間、当局の現認者らもその状況を目撃していたが、同助役はその現認者らに救助を求めることもなく、また、現認者らが近寄ってくることもなかった。

(4) 末光助役は、組合事務所に入ると、部屋の中央付近に立ち、傍らの机に少し尻をもたせかけるようにして立った。原告小柳は末光助役の右斜め前で椅子に腰掛け、同古賀は末光助役の左横に同助役と同じ格好で立った。室内にはほかに一〇名程の組合員がおり、いずれも同助役から離れて散在する形でそれぞれ椅子に掛けたり、立ったりしていた。

まず、原告小柳は、執行委員の前記松本に対して、先ほど車のナンバーをチェックしていた者が末光助役であるかどうかを確認するため「松ちゃん、さっき車をチェックしよったとはこれな」と尋ねた。松本は「んにゃ、違うごたあばい」と答えた。すると、末光助役は「違うでっしょ、私は何もしちょらんちゃ、信じちゃんない」というので、原告小柳は「ほんなら、なんごとじっと立って、こっちを見よったか、ちょっと機関区を見てん、支部をあんただけの人数で見張りよろうが、俺だちゃ、こんだけ見張られちょら、そげ思うくさ」と言って、同助役に外を見て確認するように求めた。同助役は、組合事務所の北寄り窓際に行き、そこから直方機関区構内を見回して、そこに現認要員とおぼしき者達が何人か歩き回っているのを見て「わぁ、ほんとうですね、すごいですね」と言った。次いで同助役は、同事務所東側の窓際にも行き、同様な窓外の状況を確認した。その際、原告小柳は同助役に対し「見てみい、お前、あすこに立ってちょったんぞ、あれ達と一緒に見張っちょったんやろが」と言った。まもなく末光助役は室内中央付近の元の位置に戻ってきた。

その後、組合員の間から、「スパイじゃないか」「懐中電灯もつけんで構内巡視があるか」「こんな時間に構内巡視というのはおかしいじゃないか」などの追及が末光助役に対して行われたが、同助役は、ただ構内巡視である旨を繰り返すだけであった。

末光助役の入室から約五分ほどしたころ、原告小柳は「まあ、いいたい、駅の助役ちいうとなら、駅長に電話して説明に来てもろうてん、どうか」といって、同助役に電話かけるよう促したが、同助役は「かけられまっせん」と言ってかけようとしなかったので、同原告は自ら直方運輸長室に電話をかけた。原告小柳は電話に出た当局者(後に直方運輸長室付主席の香月千秋と判明)に対し「支部やけど、駅の助役らしいちゅう人が来ちょんなるばってん、名前やらなあも言いならんき、誰か責任者来んな」と話した。香月主席は「駅の助役さんがですか、ほんとですか、はい、すぐ調べて見まっしょ」と返事した。しかし、この電話後しばらくの間は、当局からは何の連絡もなかった。

末光助役の組合事務所入室後原告ら両名をはじめ組合員らが、同助役の身体に触れたり、あるいは同助役を取り囲んだりをする状況はなかった。

(5) 前記原告小柳の電話から一〇分ほどして、直方駅の冨田駅長が、一人で突然、組合事務所入口の引き戸を開けて入室し、直ちにツカツカと同室内東南よりの黒板前付近にいた末光助役の左横付近に近づき、いきなり同助役のアノラックの左袖を右手でつかみ、「お前、こげなとこで何をしよるとか、おい、帰るぞ」と言って、同助役を入口の方向に引っ張って行こうとした。それを見た原告小柳は「お前は何者か、支部の事務所に入るとに、それなりの礼儀があろうが、とぼけちょりゃせんか」と言って、冨田駅長の傍若無人な態度をとがめようとした。しかし、冨田駅長は、然るべき挨拶もすることなく、入口付近にいた組合員に対して「とにかく帰る、どけどけ、どかんなら、おおごとするぞ」といいながら、末光助役の袖を引いて入口方向に向かって進み、入口付近にいた組合員らの真中付近に左肩から体当たりをしていった。それを見た原告小柳は「おい、みんな気をつけろ、こけるぞ、用心せいよ」と言った途端、冨田駅長は後方に倒れるような動作をし始めた。そこで付近にいた組合員の一人が同駅長の右腕をつかみ、他の一人が同駅長の両脇に手を入れて二人で同駅長を支えたところ、同駅長はゆっくりした動作で左手を先に床に着いてから床に腰を下ろす形になった。その様子を見た組合員から「わざとこけた」という声があがった。同駅長は、少し後方にいた末光助役に「現認せえ」と叫んで立ち上がった。原告小柳は「自分でこけちょって何を言うか、汚いことをするな」と言った。組合員らは冨田駅長との間をあけ、同駅長を遠巻きにする形をとった。

それから、冨田駅長は、同室の机上にある鉄道電話の受話器をとり、「おい、俺たい、駅長たい、助役みんなと公安を連れてこい」と叫んだ。そして、同駅長は、末光助役を引き連れて早足で開いたままの入口を通って二階廊下に出た。

冨田駅長は、二階廊下から先に一人で階段を下りていった。原告小柳は、同駅長に続いて階段を下りながら「おい、お前、駅長ならもう少しピリッとせいや、俺が電話をかけたき来たっちゃうが、ほんなら、我がの身分、氏名を名乗って、組合側の責任者を確認してたい、今日の出来事をピシャッと確認しちょかないけんとやないとか」と同駅長に言った。冨田駅長は「お前が責任者か」と言ったので、原告小柳は「何か今ごろ、そげな物言いがあるか、俺が責任者の小柳たい」と言ったが、同駅長はそのまま外に出ていった。

原告古賀は、二階廊下で末光助役に「ことわりを言わんのか」と呼び止めたが、末光助役はそれを無視して階段を下りていった。

(6) 階段下には、当局の管理者が多数待機していた。原告小柳は、そこにかねて面識のある直方運輸長室の荒島巌副運輸長がいたので、同人に対して「荒島さん、あんた方はデタラメやな、支部に我がが飛び込んで来ちょって、たいらく言うて、ただじゃすまさんとか言うて、一人で暴れちょるが、労使のルールも知らんとな、この男は名前も何も言わせんばい」と話した。荒島は「すんません、私が責任者で来ましたき、今日はこれでこらえちゃんなっせ、もう、頼んますき」と陳謝した後、冨田駅長や他の管理者らとともに帰っていった。

なお、原告らが末光助役を発見したのは午後九時五五分過ぎころ、末光助役が組合事務所に入室したのが午後一〇時ころ、末光助役と冨田助役が他の管理者と帰っていったのが午後一〇時二五分ころであった。

(7) 以上のとおり、本件懲戒処分の懲戒事由はなんら存在しない。よって、本件処分は無効である。

2  懲戒権の濫用

国鉄当局と国鉄職員との間には、民間の私企業と同じ懲戒法理が妥当し、懲戒処分における使用者の裁量権は、自由裁量に任されるのみではなく、客観的妥当性を有することを必要とし、相当性を欠く懲戒処分は無効であって、右相当性の判断にあたっては、当該労働者の非違行為の原因、動機、目的、性質、態様、結果、業務への影響など諸般の事情を考慮すべきであり、更に、懲戒処分の中でも懲戒解雇は、労働者が被る不利益が極めて大きいものであるから、使用者が懲戒解雇権を行使する場合には、特に慎重にすべきである。

本件処分は被告の懲戒権の濫用に該当する。これを基礎付ける具体的事実は、次のとおりである。

(一) 本件の発端は、末光助役の組合事務所監視という違法・不当な行為にあり、原告らの行為は、組合の団結防衛のため、末光助役の右組合事務所監視の行為を発見した際、その発見現場と組合事務所において、直接同助役から事実関係について問いただし調査究明しようとしたものであり、その目的は、当然かつ正当な組合活動であり、その手段・態様は、終始口頭で平穏に問いただし、同助役も任意に同行に応じたものであり、また、全体にわたって公然として状況のもとで行われ、原告らは、自ら途中で当局に電話をして状況を知らせ、末光助役の取扱いを問うなどしており、同助役に対する害意性は窺われない。また、原告らの右行為の結果・影響の面でも、原告らは勤務時間外であり、業務への支障はなく、末光助役の業務(ビラ貼り現認等)のうち、本件当時の組合事務所の監視は違法・不当で許されないから、その点の支障は問題外であるうえ、本件の行為の時間自体短時間であり、全体として業務に関し格別の影響支障を生じさせていない。

(二) 本件は、当時の国鉄労使間の緊迫した状態の中、戦後最大の国労破壊攻撃の最中に発生したという背景があり、本件処分は、国労に対する組織破壊のための弾圧事件であるとともに、国労筑豊支部の中心的存在として活発な組合活動に従事してきた原告らを職場から排除し、同支部ひいては国労を弱体化させることを狙ったものである。

(三) 原告らは、本件当時、勤務時間外において、勤務場所とは違う所で、勤務とは無関係の、労働組合としての団結活動に従事していたものであって、業務上の義務違反を犯したわけではなく、かかる義務違反によって企業秩序を侵害したわけでもない。(したがって、被告の原告らに対する懲戒権の行使には、業務外の私的行為と同様、労働契約上の義務違反のような企業秩序違反とは異なり、懲戒の裁量権の範囲に厳しい制約が課せられるべきである。)

(四) 原告らの処分歴の内容は、いずれも国労のストライキなど組織行動に伴う処分であって、通常の個人的な非違行為ではなく、一般的な企業秩序違反と性質を異にするから、本件処分に関する判断資料に加えるのは筋違いである。

3  不当労働行為

原告らに対する本件処分は、労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為であって、無効である。

(一) 本件処分の理由とされている原告らの行為を評価するに当たっては、本件が労使関係のさなかにおいて発生したという特異性を考慮しなければならず、具体的には、本件は緊張した労使関係のもとで発生した事案であるから、その行為の正当性を評価するに当たっては、団結権保障の見地から団結活動・団体行動の正当性が評価されなければならず、また、本件では、当該労使関係が深く反映しているため、労使関係の背景事情との関連で行為の動機・目的・行為の態様等が考察されなければならない。

本件での原告らの行為は、末光助役の不審な挙動に対する調査究明の行動という労働組合として当然の団結行動に属するものであり、その目的が正当であるうえ、その手段・態様も相当な組合活動であるにも拘らず、被告が原告らに対し本件処分をもって臨んだのは、原告らの正当な組合活動に対する極端な不利益取扱いであるとともに、団結防衛の正当な組合活動に対する本件処分は、組合に対する支配介入でもある。

(二) 本件処分は、かねてから一貫して国労を嫌悪し、かつ、原告らが国労筑豊支部の中心的存在として組合活動に従事していたことを嫌悪してきた被告が、原告らを職場から排除し、同支部ひいては国労の組合活動を弱体化させることを狙ってなされたものであって、不利益取扱い及び支配介入に該当する。

4  原告らの賃金関係

(一) 原告小柳は、昭和五七年一二月一日、国鉄の許可を得て、期間一年の専従休職となっており、右専従休職の期間が満了する昭和五八年一二月一日以降は、国鉄の原職に復帰していたはずであるから、同原告は、右同日以降平成元年一二月三一日までに合計一三八一万三四二五円(賃金の月額は前記のとおり一八万九二二五円)の賃金請求権がある。

(二) 原告古賀は、本件処分の発令日以降の昭和五八年六月一日から平成元年一二月三一日までの合計一七五一万四三〇〇円(賃金の月額は前記のとおり二二万一七〇〇円)の賃金請求権がある。

五  原告らの主張に対する被告の反論

1  懲戒権の濫用の主張について

国鉄のように極めて高度の公共性を有する公法上の法人の職務に対する社会の信用、信頼は厚く、そこに一般私企業の職務に比較して、より広い、かつ厳しい規制がなされる合理的理由があり、しかも公知のように、国鉄は、多額の負債を出し、その再建は国家的緊急の課題となっているなかで、国鉄の職員に対する職場規律の確立の要望はより強まっていたといわなければならない。それ故、国鉄のように高度の公共性を有する公法人の職員には、一般私企業の職員と比較してより厳しい処分がなされたとしても、その処分には合理的な理由があるといわねばならない。したがって、国鉄とその職員との間には、民間の私企業の場合とは異なる懲戒の法理が妥当するのであって、公務員と同様に懲戒権者の裁量権の範囲は広く認められるべきである。したがって、本件の懲戒権の行使が裁量権の範囲を超えているか否かの判断に際しても、右の点を十分に考慮した上で判断されるべきものである。

2  不当労働行為の主張について

前記三記載のとおり、原告らの行為は、正に暴力による強制連行、傷害、監禁であり、平和的な調査究明とはおよそ掛け離れており、また、労働組合の正当な団体活動とは無縁のものであり、被告は、原告らの違法行為を客観的に評価して本件処分を行ったものであって、右処分に不当労働行為の意思が介在する余地はなく、本件処分が不当労働行為に当らないことは明らかである。

原告らの主張は、いずれもその行為が労働組合の正当な行為であることが前提であり、本件のような逮捕、監禁、暴行、傷害に係る事件については、その前提を欠き適切でない。

3  原告小柳の賃金関係

公共企業体等労働関係法七条及び国鉄の専従休職の取扱いに関する協定によれば、専従休職は、継続または断続して通算五年以内の期間が認められているところ、原告小柳は、専従休職の開始時は国労筑豊支部書記長の役職にあり、引き続き現在まで、組織改正後の国労北九州支部書記長及び門司地方本部副委員長を歴任していて、いずれも専従休職の業務と認識されており、このような場合は最大限の専従休職が認められるのが通例となっているから、同原告につき、昭和六二年一一月末日までは原職復帰は考えられず、その間賃金請求権の発生する余地はない。

第三争点

一  被告主張の懲戒処分事由(強制連行、傷害、監禁等の事実)があったか否か

二  本件処分が被告の懲戒権の濫用に当たるか否か

三  本件処分は不当労働行為に当たるか否か

四  原告小柳の専従休職期間

第四争点に対する判断

一  懲戒処分事由(強制連行、傷害、監禁等の事実)の存否

1  (証拠略)の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 国労は、昭和五七年一二月一四日から一六日までの三日間、全国規模で仲裁裁定の完全実施、秋季年末手当の即時完全実施、国鉄再建監理委員会設置法反対、現場協議制度の協約締結等の要求を掲げて秋季年末闘争を行っていたが、右期間中には、右各問題が未解決のまま残って、続く同月一七日も中央レベルの政治折衝が続行されたため、依然全国的に闘争体制が敷かれ、国労筑豊支部においても、書記長である原告小柳は、一七日夕方から、同支部の執行委員と分会(気動車区、機関区、電気区の三分会)の役員を同組合事務所に集め、情報収集のため待機するよう指示していた。

(二) 一方、国鉄直方駅では、前記国労の闘争体制に対応して、同年一二月一四日から一六日までは直方運輸長の下に現地対策本部を設け、門司鉄道管理局からの職員派遣の応援も得て、警戒体制をとっていた。直方駅長冨田昌弘は、直方運輸長室から、同月一七、一八、一九日に国労筑豊支部の組合員によるビラ貼り行動が行われる旨の情報をもとに、同月一七日午前に行われた幹部点呼の際に、同日午後五時以降の勤務者を除く全管理者を招集して右警戒に当たるよう指示するとともに詫間正雄助役(庶務担当)に対し、右警戒のための班を編成するよう命じた。

冨田駅長は、同日午後五時三〇分ころ、右警戒に従事する管理者全員に対し、異常があった場合は駅長に連絡するとともに、ビラ貼り行為に対する中止の警告、ビラを貼られた場合の現認、採証、撤去等を指示したうえ、同駅の構内巡視を命じた。なお、国鉄では、国鉄の車両、検修物等に許可なくしてビラを貼ることは禁止され、また、組合掲示板に貼るものとして許可されたもの以外のビラ貼りは違法とされていた。西部構内では、かつて、下り操車詰所、西てこ扱所、西運転室付近等に違法にビラが貼られたことがあったため、警戒巡視の際に特にその箇所を重点的に見るように注意していた。

末光助役は、前記班の編成(二人一組)により、詫間助役とともに同駅西部構内(同駅南側部分の構内、その概略は別紙図面記載のとおり、なお国鉄では上り方向を東、下り方向を西と呼ぶ慣例である。)を担当することとなり、右両助役は、共に同日午後六時ころから八時ころまでの間に同構内を二回巡視した後、下り運転室内から同構内を監視していたが、詫間助役は午後九時三〇分ころ、電話連絡で所用のため駅長室に行った。

(三) 残った末光助役は、二回目の巡視からもかなり時間が経過しており、駅長からも「西の方は大丈夫か。」という電話があったことから、午後九時三五分ころ、三回目の巡視をするため、制服上下にアノラックを着用し、制帽(ヘルメット)を被って、前記運転室を出て巡回し、保線区倉庫に至り、同倉庫、西運転室等にビラが貼られていないことを確認した後、同運転室と保線区倉庫の間に立って、西てこ扱所東側で行われていた貨物列車の機関車の入区作業を見ていた。

なお、末光助役の立っていた右位置からは、組合事務所は、線路を隔てて数十メートル離れており、西てこ扱所の建物が障害となって、同事務所二階の組合事務所のうち、北側半分が見えるだけであり、しかも、右部分における人の動きも断片的に視認できる程度であった。

(四) 当日夜、組合事務所には、原告ら同支部役員をはじめ気動車区、機関区、電気区の三分会の役員らが待機していた。そこへ入ってきた組合員の松本勝弘が、当局側の現認要員が同組合事務所付近の組合員の自動車のナンバーをチェックしていたので「おまえ、何をしよるか」と聞いたところ逃げたと話した。それを聞いた原告らは、その現認者に対し抗議しようと考え、ほか三名の者とともに同事務所を出て捜していたところ、前記箇所に立っていた末光助役を発見した。

そこで、原告古賀が西てこ扱所南側から、原告小柳ほか一名が同所北側から、それぞれ末光助役のところまで走り寄り、原告古賀が末光助役の左側に、原告小柳は右側に、他の一名は同助役の後ろに回って立ち、原告古賀が「あんたこげんところで何しよるとな」と言い、原告小柳は「ここで支部を監視しよろうが」と詰め寄った。同助役が「おれは構内を巡視しよったい」と答えたところ、原告古賀は「スパイ行為じゃないか」と言って同助役のアノラックの左衿を右手でつかみ、原告小柳が同助役の右上膊部をつかんだ。同助役は「機関車の入区状況を見よるったい」と答え、つかまれた右腕を何回も振るったり身体をねじったりして、つかんだ手を振りほどこうとしたが、原告両名は手を放そうとはしなかった。

同助役は、その場所が暗かったので明るい所へ出ようと思い、原告らにつかまれたまま貨車一番線と二番線の間まで行った。

このとき、西てこ扱所の方向から新たに二人の男がくるのが見えたので、同助役は原告らの手を全力で振り払い南の方へ数歩逃げたが、同助役の後ろにいた他の一名が同助役の腰にタックルするように抱きつき動きがとれなくなったところへ、原告小柳が同助役の右手首をつかんで同助役の右脇の下に左腕を差し込み、原告古賀が同助役の左手首をつかんで同助役の左脇の下に右腕を差し込んで同助役の身体を固めて身動きできない状態にし、そのまま安全通路沿いに線路を横切って、約八〇メートル離れた組合事務所の階段下まで連行した。

原告らが同助役を組合事務所の階段下まで連行したとき、同事務所から組合員一〇数名が降りてきて同助役を取り囲んだ。そこで同助役が「もう離してくれ」といったところ、原告両名はやっと手を離した。そして、組合員らと共に末光助役の前後を取り囲んだ状態で組合事務所へ連れ込んだ。

(五) 組合事務所に連行された同助役は、事務所中央付近に線路側に向かって立たされ、出入口付近には組合員らが立ち塞がった。そして、原告古賀が前記松本に対し「これやったな」と問いかけたところ、松本が「違う、ヘルメットをかぶっちょらんやった」と答えた。

すると、原告古賀は同助役を指差しながら「これは昔直方車掌区におるとき、鉄労を作って助役試験に通り偉ろうなっちょっちゃきな、ろくなやっちゃねえとばい」と言った。すると、他の組合員らも「お前、スパイしちょろうが」、「本当のことを言え」などと罵声を浴びせた。同助役が「業務で構内を回っていただけだ」というと、組合員らが大声で「うそ言うな」「こげえ遅そう、なんで構内回るか」「うそばっかし言うな」などと罵声を浴びせた。このころ組合員の数は約二〇名になっていた。

原告小柳は、同日午後一〇時〇五分ころ、机上の鉄道電話で直方運輸長室の香月主席に架電し「駅の助役らしい者をつかまえておる、何でも上の方の助役らしい、取りにこんか」と言った。

また、原告古賀は、同助役に対し「断り言えよ」と言ったので、同助役は「自分の構内を私がまうのに何が悪い」と答えたところ、他の組合員らが「駅長を呼べ」「どげすっとか」と大声で言い、更に「外を見てみい、うんとたむろしちょろうが、おまえげんとが」と言ったので、同助役は、しかたなく言われるままに機関区側の窓に行って外を見たところ、同所から四、五〇メートル離れた西誘導詰所付近に五、六名の機関区の助役らの姿が見えたが、すぐまた元の位置に戻りかけたところ「もっとよう見らんか」と怒鳴られ、再度、窓際の位置に立っていた。

同助役が元の位置に戻ると、原告小柳が「お前誰か、身分証明書を出せ」、原告古賀が「懐中電灯も持たんで何しよったか」、さらに組合員らが「お前どこの者や」などと詰問した。そこで、同助役は、右ポケットから懐中電灯を出して見せ、さらにアノラックのチャックを下げ制服の胸に付けていた氏名札を見せた。すると組合員らは「そげなものはどこにでも落ちよる」「どこで拾うたか分らんもん信用できるか」と言い、「お前、そげなぬくいところにおらんでもっと寒いところに立っちょけ」と命じ、東側窓の方を指差した。同助役は言われるままに、電気ストーブの裏側の東側窓の方に移動した。

(六) 前記のとおり、同日午後一〇時〇五分ころ、原告小柳から電話を受けた運輸長室の香月主席は、たまたま運輸長室を訪れていた冨田駅長に、右電話の内容を伝えた。冨田駅長が調べたところ、組合事務所に連れ込まれたのは末光助役らしいことが判明したので、同駅長は救出のため急拠同事務所へ向かった。

同駅長は、一〇時一六分ころ、同事務所下から末光助役の姿を確認できたので、階段を駆け上がって、出入口の戸を開けて同事務所に入った。室内には約二〇名の組合員がおり、末光助役は出入口右側の机のそばに立っていた。そこで、同駅長は同助役の側に行き、同助役に「おい、総括帰るぞ」と言って右手で同助役のアノラックの袖を引っ張って、出入口に向かって歩きかけたところ、原告古賀ら五、六名の組合員が出入口付近に立ち塞がり、「お前は誰か」「どこの馬の骨か」「この馬鹿野郎」などと罵声を浴びせ、続いて原告小柳が「お前は誰か、挨拶もせんで入ってきて失礼やないか」と言い、同駅長が「俺は直方駅長や、うちの助役だから連れて帰る」と答えたところ、組合員らは「馬鹿」「とぼけるな」などと罵声を浴びせた。

同駅長は、このままの状態では長時間監禁されるおそれがあると判断し、末光助役に対し「帰るぞ、俺に付いて来い」と言って出入口に向かったところ、組合員らは出入口の戸の前に立ち塞がったので、同駅長が「そこをどかんか」と言って、組合員の列の中に左肩から割り込んで行ったところ、押し返され室内に仰向けに転倒したが、後ろにいた末光助役が抱え起こした。すると、組合員らは「俺は何もしていないぞ」「駅長は年寄りで、足がもたついて自分でこけたばい」などとあざ笑った。

同駅長は、組合員らに対し「末光助役を強制的に連れ込んで、更に、暴力まで振るうのか」と言ったところ、組合員らは「暴力もしとらん、監禁もしとらん」と言い、原告小柳が「これが陰に隠れてこそこそして、巡視と言いよるが、そげな構内巡視があるか」「さっき運輸長室に電話した」といった。

同駅長は、再度「出るんだ、どけ」と大声を上げながら出入口の列に割り込んで行ったが、組合員らに退室を阻止された。そこで、同駅長は、このままでは自力で退室することは困難と判断し、同事務所の机の上にある鉄道電話で駅長個室にダイヤルしたところ、原告小柳が電話のフックを押し「何で組合の電話を黙って使うか」といったが、同駅長は電話機を手元に引き寄せ駅長個室を呼び出し、応答に出た主席助役の安部義隆に対して「公安、運輸長に連絡して、助役を全員動員して筑豊支部前に来い」と指示した。このとき、室内は一瞬静かになった。

原告小柳は、同駅長に対し「公安を動員するとか、気の利いたことを言うな」と言ったが同駅長は、これを無視し、末光助役に「総括、付いて来い、帰るぞ」といって出口に向かって歩いて同事務所の外に出た。同駅長が出入口を出て階段の中程まできたとき、追いかけてきた原告小柳が「組合の責任者の名前も聞かんで帰るのか」と言ったので、同駅長が「責任者は誰か」と聞いたところ「俺だ、小柳だ」と答えた。一方、冨田駅長に続いて出入口を出た末光助役は、階段の踊場で原告古賀から左腕をつかまれ「ちょっと待て、断りを言わんか」と言われたが、同助役は「断りを言う必要はない」と答え、階段を下りていった。このとき、副運輸長の荒島巌や直方駅の管理者らが同組合事務所階段下に来ていた。

2  もっとも、原告らと末光助役が保線区倉庫そばから組合事務所に至る経過について、原告ら各本人、証人原正明の各供述、甲第十九号証(向井文明の供述調書)、第二一、第二二号証(原告らの各供述調書)には、前記認定とは異なり、いずれも、原告らの説得により、末光助役は組合事務所へ行くことに同意し、原告両名、組合員の原正明、向井文明らとともに、前記安全通路を一列になって通る形で、任意に同事務所まで歩いて行った旨の供述又は供述記載があり、原告らに強制的(その態様は前記認定のとおり)に連行された旨の証人末光璋吉の供述、乙第一号証(末光璋吉作成の報告書)、第二四ないし第二九号証の各二(いずれも同人の供述調書)の供述記載と食い違っている。

しかし、(証拠略)によれば、当時、前記西てこ扱所二階で直方駅運転係として信号担当の業務に従事しながら、右の経過を目撃していた川野兼男は、刑事事件において、保線区倉庫付近で助役らしい者が組合員らしい五、六人の者から抗議を受け、腕をつかんで引っ張って、安全通路付近まで連れて行かれ、そこからは原告ら両名が同助役の両側からそれぞれ脇の下に腕を差し込んで、同助役の両脇を固め、他の一人が後ろから押す形で、安全通路上を組合事務所の方に連行していったこと、その際、同助役は逃れるべく、もがいたり、足を突っ張ったりしていたが、原告小柳は「お前、男なら、男らしゅう堂々と来い」などといって連行して行った旨の証言をしていることが認められる。右証言は、本件事件から証言時点まで約三年半の経過により記憶が薄れている部分を除いて、その要旨は一貫し、末光助役が連行される態様については具体的かつ明確であり、当時国労の組合員であった同人が、敢えて同組合役員である原告らに不利益な虚偽の供述をしなければならないような事情は見当たらず、前記末光助役の供述等(但し、足が宙に浮いたような形で連行されたとする部分を除く)とも符合しており、右供述は十分信用するに足りるものというべきである。したがって、これに反する前記原告らの供述等は措信できない。

3  前記認定の、原告両名の、末光助役に対する組合事務所への強制連行、同事務所での監禁、冨田駅長に対する同事務所からの退室妨害等の行為は、国鉄就業規則六六条一六号の「職員としての品位を傷付け、又は信用を失うべき非行のあったとき」及び「その他著しく不都合な行いのあったとき」に当たり、国鉄法三一条一項一号に定める懲戒事由に該当することが明らかである。

二  本件処分が懲戒権の濫用ないし不当労働行為に当たるか否か。

1  国鉄法三一条一項には、被告(旧国鉄)の職員が同条所定の懲戒事由に該当する場合においては、懲戒権者たる国鉄総裁は、これに対し懲戒処分として、免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができると規定されている。懲戒権者が、懲戒事由に当たる具体的行為につきその職員に対し、右のうちどの懲戒処分を選択するかについては、具体的な基準は定められておらず、懲戒事由に該当する所為の外部に表れた態様、その原因、動機、状況、結果、当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等の諸般の事情を総合考慮し、国鉄の企業秩序の維持確保という見地から相当と判断した処分を選択すべきである。そして、右懲戒処分の選択の判断については、懲戒権者に裁量が認められているものと解される。しかし、懲戒権者の処分の選択が、当該行為との対比において甚だしく均等を失する等社会通念に照らして合理性を欠き、右のような限度をこえる場合は、当該懲戒処分は懲戒権者の裁量の範囲を超えるものとして違法となり、その効力を否定されるものと解するのが相当である。しかも、懲戒処分のうち免職処分は、他の処分とは異なり、当該職員の地位を失わしめるという重大な結果を招来するものであるから、免職処分の選択に当たっては、他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである。そこで、右のような観点に立って、以下、本件処分の相当性について検討する。

2  原告らは、本件事件は緊張した労使関係のもとで発生した事案であるから、その行為の正当性を評価するに当たっては、団結権保障の見地から団体活動・団結行動の正当性が評価されなければならず、また、労使関係の背景事情との関連で行為の動機・目的・態様等が考察されなければならない、と主張する。そして、原告らの本件行為は、末光助役の不審な挙動に対する調査究明の行動という労働組合として当然の団結活動に属するものであり、その目的は正当であり、その手段・態様も終始、平穏、公然に行われたものであるから、相当な組合活動である、また、その結果も、国鉄の業務に関し格別の影響、支障を生じさせていない、したがって、本件処分は、原告らの正当な組合活動に対する極端な不利益取扱いであり、組合に対する支配介入でもある、また、本件処分は、原告らが国労築豊支部の中心的存在として組合活動に従事していたことを嫌悪してきた被告が、原告らを職場から排除し、同支部ひいては国労の組合活動の弱体化を狙ったものであるという。

3  そこで、まず、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、当時の国鉄労使間関係の背景として、次の事実が認められる。

(一) 国鉄は、昭和二四年に公社として設立されて以来、戦後及び昭和三〇年代の旺盛な輸送需要に対応して輸送力の増強等を行ってきたが、昭和三九年度に欠損を生じて以来、その経営は悪化の一途をたどり、昭和五五年度はついに一兆円を超える欠損となった。この間、国からの助成は年々増大し国家財政の大きな負担となり、その後も欠損は増大していくことが確実視され、国鉄の経営状況は危機的状況を通り越して破産状況にあるとされた。

一方、昭和三九年に赤字に転じて以来、国鉄自身による数次の財政再建計画が策定されたが、いずれも計画の達成ができずに挫折した。そこで、昭和五七年七月の政府の臨時行政調査会の基本答申によれば、もはや単なる公社制度の見直しとか個別の合理化計画ではなく、公社制度そのものを抜本的に改め、責任ある経営、効率的経営を行い得る仕組みを導入する必要があるとされ、その新しい仕組みとしては国鉄の分割、民営化が必要であるとされた。そして右新形態に移行するまでの緊急措置の一つとして、職場規律の確立を図るため、職場におけるヤミ協定及び悪慣行(ヤミ休暇、休憩時間の増付与、労働実体の伴わない手当、ヤミ専従、管理者の下位職代務等)を全面的に是正し、現場協議制度は本来の趣旨にのっとった制度に改めること、違法行為に対しての厳正な処分、昇給昇格管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図ることが求められた。また、生産性の向上のため、夜間勤務体制、業務の部外委託、職務分担のあり方等の抜本的な見直しを行い、労働時間の改善を図るとともに、配置転換を促進し、各現場の要員数を徹底的に合理化する必要があるとされた。

右答申を受けた政府は、右答申を基本的に尊重し、昭和五七年九月の閣議で、国鉄の経営形態の変更(分割、民営化)、及び再建監理委員会設置法案の国会提出を決め、更に、国鉄の当面の経営悪化を防ぐため、職場規律の確立等の緊急一〇項目の実施を決定した。国鉄総裁も、右閣議決定を受けて、この緊急事態を厳しく認識し、全職員が一丸となって国鉄自身の再建努力をするように訓示した。

(二) これに対し、国労、動労、全施労、全動労は、国鉄再建問題四組合共闘会議を設置し、ともに国鉄の分割民営化に反対する態度を表明したが、鉄労は国鉄の分割民営化を推進する方針を採った。

国鉄当局は、前記再建方針に従い、職場規律の確立、管理体制の強化に務めるようになった。そして、昭和五七年七月関係組合に対して、現場協議に関する協約の改定案を提示して交渉に入り、動労、鉄労、全施労は、右改訂案について妥結したが、国労は右改訂案は、職場内での組合活動を抑圧するものであるとの立場から、交渉を継続してきたが進展せず、同年一〇月一六日公労委に調停申請をしたが、同年一一月一六日調停困難であるとして労使の自主解決を勧告し、双方はこれを受諾したが解決に至らず、同年一二月一日右現場協議に関する協定は失効してしまった。

右協約失効後は、当局は、職場において、今まで労使間で確認してきた事項はすべて無効となり、今後は管理者と部下との関係のみが存在し、そこでの労使間の話合いはなくなったとして、従来は認めていた作業の方式、ルールに関する質問、意見を一切認めず、業務命令として一方的に処理するようになった。

(三) 昭和五七年一二月中旬、総評を中心とする秋季年末闘争が展開され、国労も、仲裁裁定の即時完全実施、夏季年末手当に対する仲裁の実施、年末手当の削減抗議、国鉄の分割民営化反対、国鉄監理委員会設置法反対、等の要求を掲げてこの闘争に参加し、一二月一六日には国労各拠点地区における時限ストを中心とする諸行動を計画した。国労筑豊支部は右スト拠点ではなかったが、国労の指示に基づき一二月一四日から右闘争にかかわる諸行動として職場集会を予定していた。

それに対し、国鉄当局は、一二月一四日から一六日までの間、直方運輸長室に現地対策本部を設置して筑豊支部の行動に対して厳しい警戒体制を敷いた。直方運輸長を本部長として、直方駅などの各現場では助役を動員し、さらには門鉄局から多数の現認要員が派遣され、筑豊支部のビラ貼り行動に対する監視警戒体制がとられた。一二月一七日も、同様の厳戒体制をとり、現認要員や助役らが同日夜に入っても構内に出て構内巡視を繰り返していた。本件事件はこのような背景のもとに起きたものである。

4  そこで、以上認定の背景をも考慮しつつ、本件処分の相当性について判断する。

まず、前記認定のとおり、末光助役は、ビラ貼り行為に対する警戒のため駅構内を巡回し、ついでに自己の平素の職務の範囲に属する機関車の入区状況を見ていたものであり、特に組合事務所の監視行為をしていたことを認めるに足りる証拠はない。また、末光助役の立っていた場所は、組合事務所を監視するには距離が遠すぎ、西てこ扱所の建物が障害物となり、右事務所を十分に監視することができない場所であって、原告らが組合事務所の監視行為を疑う根拠は薄弱である。また、それに対して原告らのとった手段、態様は、前記認定のとおり、強制連行、監禁という暴力を含む行為であり、前記認定の労使関係の背景を前提としても、到底正当な組合活動と解することはできない。また、その結果、末光助役の職務(ビラ貼り行為の警戒等)を妨害したことは明らかである。よって、本件が正当な組合活動である旨の主張は理由がない。

しかし、このように国鉄当局と国労との労使関係が尖鋭化していた時期であり、原告ら国労の幹部が、末光助役の所為を組合監視であると疑い、これに抗議しようとした動機自体には特に非難すべき点はない。次に、末光助役に対する前記の強制連行、監禁行為自体は違法ではあるが、強制連行の際に行使した暴力も同人に特に傷害等を加えることを意図した有形力の行使ではなく、同助役の受けたとする傷害も極めて軽微であること、組合事務所における監禁の時間も約三〇分くらいの短時間であり、その間、末光助役に対する抗議行為も、特に同人に対し危害を加えるとか、危害を加えるような気勢を示したとかの過激な行為があったことは窺われないこと、その監禁の間に、運輸長室に電話でその旨を連絡しており、同助役の身柄の措置につき、当局と交渉をもつ意思があったことが窺われること、その結果も、特に国鉄の業務に現実に重大な支障を与えたことは認められないことなど、その行為自体の違法性の程度はそれほど強いものとは認め難いこと、前記認定の原告らの処分歴も、原告小柳は、戒告一回、訓告四回、原告古賀は訓告三回であり、いずれも懲戒処分としては最も軽い処分であって、その内容も殆どは組合活動に参加して業務を欠いたことによるもので、本件のような暴力行為を伴うものは含まれていないこと、前記のとおり、当時、国鉄当局は、職場規律の確立、管理体制の強化の方針のもとに、現場協議制度等、労使間の慣行を変更しようとして国労と激しく対立し、原告ら国労幹部は、当局の行為に極度に神経質になっていたことが窺われ、末光助役に対しとった本件行き過ぎた抗議行為もそのことと無関係ではないと考えられることなど、その目的、動機、方法、結果、等の諸事情を総合考慮すると、原告らのとった本件行為に対して、何らかの懲戒処分は免れないとしても、免職処分という最も重い処分をもって臨むのは、社会通念に照らしていささか酷にすぎると評価せざるを得ない。このことは、公共性を有する国鉄の職務が一般私企業の職務に比較して、より厳しい規制がなされる理由があること、前記認定のとおり、当時、国鉄の再建は国家的緊急の課題であり、国鉄の職員に対する職場規律の確立の強い要望があったことなどの事情を考慮したとしても、やはり同様である。したがって、原告らの行為に対する懲戒権の行使に当たり、免職処分を選択したことは、懲戒権者に認められた裁量の範囲を逸脱したものと認めざるをえない。

そうすると、国鉄総裁のなした原告らに対する本件懲戒処分は、いずれも懲戒権の濫用として違法であり、その余の点(不当労働行為の成否)を判断するまでもなく、その効力を有しないというべきである。

5  以上のとおり、原告らに対する本件懲戒免職処分は無効であるから、原告らは依然として被告に対する労働契約上の権利を有することとなり、原告らの被告に対する右労働契約上の権利の確認を求める請求は理由がある。

三  賃金請求権について

1  以上のとおり、原告らと被告との間に労働契約が存する以上、原告らは被告に対して賃金請求権を有することになる。その間に原告らが労務を提供しなかったのは、被告の責めに帰すべき事由により、労務の提供ができなかったものと認められるから、民法五三六条二項により、原告らは賃金の支払いを受ける権利を失わないと解すべきである。

2  ただ、原告小柳は、当時は、組合専従休職期間中で無給とされていたから、その休職期間中の賃金については、被告にその支払義務がないことは明らかである。問題はその休職期間であるが、この点につき、同原告は、昭和五七年一二月一日、国鉄の許可を得て、期間一年の専従休職となっていたから、右専従休職の期間が満了する昭和五八年一二月一日以降は、国鉄の原職に復帰していたはずであり、同原告は、同日以降の賃金請求権があると主張するのに対し、被告は、公共企業体等労働関係法七条及び国鉄の専従休職の取扱いに関する協定によれば、専従休職は、継続または断続して通算五年以内の期間が認められているところ、原告小柳は、専従休職の開始時は国労筑豊支部書記長の役職にあり、引き続き現在まで、組織改正後の国労北九州支部書記長及び門司地方本部副委員長を歴任していて、いずれも専従休職の業務と認識されており、このような場合は最大限の専従休職が認められるのが通例となっているから、同原告については、昭和六二年一一月末日までは原職復帰は考えられず、その間賃金請求権の発生する余地はない、と主張する。

3  よって、検討するに、(証拠略)、原告小柳春利本人尋問の結果によれば、原告小柳の組合歴は、昭和四一年四月国鉄直方気動車区職員に採用されると同時に国労に加入し、昭和五一年一二月国労筑豊支部執行委員、昭和五二年同支部直方貨車区分会長、昭和五五年一一月同筑豊支部執行委員、昭和五七年一一月同筑豊支部書記長、昭和五九年一一月国労北九州支部書記長となり現在に至っており、一貫して国労の最も重要な役職を歴任していること、その間に国労筑豊支部書記長となった昭和五七年一二月一日から組合専従休職となっていたことが認められる。右のような同原告の組合役員歴からすれば、同原告は、一年経過後に直ちに原職に復帰したとは考え難く、規則等に定められた最大限の休職期間(五年間)の延長が必要であったことが容易に推測できる。したがって、本件懲戒処分がなかったとしても、少なくとも昭和六二年一一月三〇日まで休職期間が継続した蓋然性が強く、その間は、同原告が被告に対し賃金支払請求権を有したものと認めるのは困難である。

4  そうすると、被告に対して、原告小柳は、前記昭和六二年一二月一日以降月額一八万九二二五円の、原告古賀は、本件懲戒処分の日の翌日である昭和五八年五月一七日以降月額二二万一七〇〇円の、各賃金請求権を有することになる。

第五結論

以上によれば、原告らの労働契約上の権利の確認を求める請求はいずれも理由があり、原告小柳の賃金支払いを求める請求は、金四七三万〇六二五円(昭和六二年一二月一日から平成元年一二月三一日まで月額一八万九二二五円の賃金)及び平成二年一月一日から本判決確定に至るまで毎月二〇日限り一八万九二二五円の支払いを求める限度で理由があり、原告古賀の賃金支払いを求める請求{金一七五一万四三〇〇円(昭和五八年六月一日以降平成元年一二月三一日まで月額二二万一七〇〇円の賃金)及び平成二年一月一日から本判決確定に至るまで毎月二〇日限り二二万一七〇〇円の賃金の支払いを求める}は全て理由がある。

(裁判長裁判官 綱脇和久 裁判官 杉山正士 裁判官 徳岡由美子)

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